ラブがもう助からないと診断され、つらかった時、
友人からのメールに私は救われました。
その友人は、数年前に長年一緒に過ごした愛犬と
お別れした経験を持っています。
経験者の言葉は何より重い。
友人からのメールは、心の中の霧をはらしてくれ、まだまだ私にやれることがあると、前向きな気持ちにさせてくれました。
そして私は、そのメールから友人の偉大さも感じました。
数年前、友人が愛犬を失って辛かった時期に、私は真の苦しさを理解できていなかった気がします。
愛犬とお別れして、かなり痩せてしまった友人に、早く立ち直るように促した記憶があるのです。
そんな時、友人は、その愛犬との思い出話を私に話し続けました。
私も友人の愛犬に会ったことがあったので、その時の印象を交えながら、その思い出話に相槌をうち、耳を傾けました。
そのついでに、励ましたのです。
でも、今思えば、余計な励ましなどせずに、聞き役に徹しているだけでよかったのではないかと思います。
愛犬との別れを経験したことのない私のどんな言葉も、友人の心を癒すことはなかったと思うから。
今、同じ経験をするかもしれない状態になり、初めてわかりました。
気持ちに寄り添ってもらえることが、何より心が救われると。
私が友人を偉大だと感じたのは、当時、私は何もしてあげられなかったのに、
いいえ、逆に落ち込むことも言ったかもしれないのに、
寄り添うような、それでいて「私がしっかりしなきゃ!」と思える言葉を送ってくれたことです。
ペットロス症候群・予備軍になってしまった苦しさに耐え切れず
「どうしたら乗り越えられるのだろう」という私のメールに、
生きている時より、去って暫くしてからの方がもっと辛いこと、
良い乗り越え方はないこと、
やれることは最後まで見届けてあげることくらいだと、
自分の体験や見送ってからの気持ちも交え、書き綴ってくれました。
そして、今も友人の心の中に愛犬が生き続けているとも、書かれていました。
私は、ラブのことを心配しているようで、実は自分のことしか考えていなかったことに気付かされました。
まだラブが頑張っているのに、まだ起こってもいないことに悩み、
自分を見失ってしまっていたのです。
その友人の、「わんこは敏感なので、最期の日までいつも通りに可愛がってください」
という言葉に、目が覚める思いでした。
確かに心が伝わってしまうのです。
私の嘆きや苦しみがラブを苦しめる。
だから、最期の日までできる限りのことをして、
後悔のない日々を送ろうと思いました。
お別れの時は、悲しいのは当たり前、
良い乗り越え方や、楽な乗り越え方なんてある訳がない。
それだけ、思い出が詰まっている家族なのですから。
だから、今を大切にしなきゃ。
家族として一緒にいられる今を、後悔がないように。
その友人からのメールは、私のお守りになっています。







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